外国郵便の聖地、横浜郵便局舎の変遷
郵政事業の変遷
1 横浜の郵便局の始まり 2 横浜郵便局の移転・改称 3 現局舎は6代目、横浜港郵便局
1 横浜の郵便局の始まり
日本の郵便制度は、明治政府により1871年4月20日(旧暦:明治4年3月1日)に制定され、当初は東京・京都・大阪の三都市に郵便役所、それをつなぐ東海道筋の要所に郵便取扱所が設置されました。その一つに東京の玄関口として重要な港となった横浜がありました。
横浜は生糸輸出に代表される海外取引の重要な貿易港であり、商用の金子入書状の要望、居留地に住む外国人の郵便利用の需要等に対応すべく、同年7月15日には正式な当時の郵便局、「横浜郵便取扱所」として現在の関内(当時:弁天通3丁目41番地)に設置(1)されました。
2 横浜郵便局の移転・改称
官営の「横浜郵便取扱所」の運営者には、旅館「鹿島屋」の主人であり、蒸気船の定期運航を担っていた山室亀吉を任命。その土地を借り上げ「横浜郵便取扱所」【図1】として業務を開始したのです(2)。現在は、商業ビルやオフィスビルが立ち並ぶ通りの街路樹のそばに、当時を偲ぶ小さな石碑がひっそりと建っています。
取扱所はその後、1873(明治6)年に「横浜郵便役所」に改称し、局舎は日本大通り(当時:本町5丁目75番地)に移転。2代目局舎は小ぶりながらも近代化を感じさせる2階建ての木造洋館【図2】となりました。
1874(明治7)年12月7日には、外国郵便の創業に合わせて建設された大型の木造建築で、バルコニーが印象的なコロニアル様式の3代目局舎が完成しました【図3】。
完成直後の翌年1月1日から全国の郵便役所・郵便取扱所は郵便局に改称したため、名称は「横浜郵便局」に。
その後1月5日には伊藤博文、前島密らをホストに、各国の要人を招いた開局式を行い、外国郵便の取り扱いという新たなスタートを切りました。
3 現局舎は6代目、横浜港郵便局
1889(明治22)年に建設された4代目は、重厚感のある2階建レンガ造。名称は「横浜郵便電信局」に生まれ変わりました。しかし1923(大正12)年9月の関東大震災で瓦解。その後約10年間、横浜の震災復興期には付近の横浜公園に設置した仮局舎で運営をすることになります。
1934(昭和9)年になると、局舎は旧4代目の向かいに移転(日本大通り5丁目6番地、現地)、タイル張りが印象的なモダニズム建築の5代目局舎が建設されます。
その後、同地には1974(昭和49)年に6代目となる現在の「横浜港郵便局」(3)の局舎が竣工。外国郵便発祥の地の記念板が掲げられ、近代化を象徴する港町横浜の名所の一つに数えられています。
このように、横浜大さん橋ふ頭周辺【図5】では、横浜の名建築とともに郵便局と外国郵便の歴史を感じることができます。
【図5】歴代の横浜郵便局ゆかりの地(図は筆者作成)
(主席学芸員・井村恵美)
(注)
- 現在の横浜港郵便局の前身、横浜郵便局(横浜郵便役所等を含む)は、現在地に落ち着くまでにいくつかの変遷があり、いずれもふ頭周辺の税関、電信局などが集中する主要な街区に設置された。郵政省編『郵政百年史』逓信協会、1971年、69-72頁。日本郵政監修『郵政建築 逓信からの軌跡』建築画報社、2008年、7、62、65、69、123、184、218頁。森寿博編、武田聡追補『郵便創業150年記念出版 日本郵便局名鑑』第1巻、鳴美、2021年、343頁。郵政省編「普通郵便局原簿 東京・信越」101頁(AJA-0188)。↑
- 初代駅逓正杉浦譲先生顕彰会編・刊『初代駅逓正杉浦譲伝』、1971年、252頁。↑
- 1967(昭和42)年に横浜港郵便局(よこはまこうゆうびんきょく)に改称、1989(平成元)年から現在の横浜港郵便局(よこはまみなとゆうびんきょく)に読替改称。前掲、「普通郵便局原簿 東京・信越」101頁。↑