博物館ノート

NE式写真電送装置

収蔵品

電気によって文字や絵を読み取り、それをデジタル信号に変換し、受信側に送信するのがファクシミリです。電信・電話・無線といった電気通信の歴史の中で、ファクシミリは比較的新しい発明かと思えますが、実際は電信に次ぐ発明で電話より古い起源を持っています。
ファクシミリを分けると、写真電送をするのに適した濃淡の送受信を行う写真電信と、文字の電送に適する白黒の送受信の模写電信とに分けることができます。
1843年、イギリスの機械技師、アレキサンダー・ベインがイギリスに「電気時計と電信」で特許出願をしました。模写電信の最初です。
当時、写真技術の発明が前後して行われた為、模写電送の技術が写真電送へと向かい5年後の1848年、イギリスのベークウェルが円筒走査を発明、特許出願しました。
日本における写真電送装置は外国製のものでしたが、1924(大正13)年、日本電気株式会社に丹羽保次郎が入社した時に転機が訪れました。
丹羽は東京帝国大学工学部電気工学科を卒業後、逓信省に入り電気試験所で電気技術の研究を行っていました。日本電気に入社した丹羽は日本電気の技術がアメリカのWE社依存で自主性に欠けていることに問題を感じ、独自の研究開発を進める必要性を提言しました。
そこで生まれたものの一つがNE式写真電送機です。NEとはNippon  Electricの頭文字をとったものです。
写真電送装置は当時欧米で実用化され始めていましたが、1928(昭和3)年十一月に京都で行われる昭和天皇即位の大典に向けて各新聞社は写真電送装置の導入を計画していました。当時は国産品に信用がなく、各社はジーメンス式やベラン式を注文していましたが東京日日新聞(毎日新聞)社はNE式を採用しました。その結果、NE式は時間も早く、鮮明な画像を送受信でき、大成功を収めました。このことから注目を浴び、NE式は他の新聞社にも採用されることになりました。
一般公衆用として逓信省も昭和5年8月より、NE式をもって東京・大阪間の公衆写真電報を開始しました。

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写真は1936(昭和11)年逓信省製造のNE式携帯用写真電送装置です。

この記事は、「逓信総合博物館 展示品・所蔵品紹介」『通信文化』(13号、通巻1223号、47p、公益財団法人通信文化協会発行、2013年)掲載記事から転載し、一部変更したものです。