博物館ノート

郵便競技会

収蔵品

写真は、昭和二五(一九五〇)年に青山学院大学講堂で開催された第二回全国郵便競技大会(逓信省時代から通計五回目)の様子です。機関誌『郵政』(第二巻第十二号、一九五〇年、四三頁、郵政省人事部能率課発行)によると、この時行われた競技と競技別の最高成績は、「東京都または大阪市行政区分競技(模擬郵便物五〇〇通)」六分二二秒、「特殊通常郵便物差立競技(特定局)」一五分一九秒、「特殊通常郵便物差立競技(普通局)」一二分一七秒、「小包郵便物差立競技(特定局)」五分一三秒、「府県区分競技」七分三七秒、「配達道順組立競技(普通局)」八分二五秒、「総合競技」(普通通常郵便物・特殊通常郵便物・小包郵便物について取揃え・消印・区分は束・赤郵袋締切・大郵袋納入までの一連の作業を三人一組となり共同作業をするもの)一三分一四秒で、九二名が参加し、仙台郵政局チームが郵政大臣杯を受賞しました。
逓信省が第一回全国郵便競技会を開催したのは、昭和二一(一九四六)年でした。この頃は終戦直後であったため、戦時中の職員出兵等の影響を受け、郵便業務運行は混乱状態にありました。そのため、逓信省は、郵便業務運行を正常化するためには、郵便従業員の郵便物区分差立技能を向上し、事業精神を高揚することが必要であり、それにより急務である郵便サービスの向上と事業収入の増加を図ることができると考え、郵便競技会を計画、開催しました。
当初、全国大会の出場者は、各地方逓信局が推薦する優秀者を東京に招集していましたが、昭和二四(一九四九)年、郵政省発足後に再スタートした第一回全国郵便競技会から、原則として、当年度に施行した「郵便職員技能検定実科試験」に合格した者の中から優秀者を選出するようになりました。
昭和二七(一九五二)年には、「郵便競技会実施要綱」を定め、競技に「配達道順組立競技(特定局)」と「自動押印機取扱作業競技」を追加しました。そして、翌年には、模擬郵便物数を増やす等、実施方法が変更されると同時に、正常運行を阻害する原因となる誤区分・残留等に相当するものは失格にするように成績審査関係も変更しました。
昭和三〇(一九五五)年の第七回には、「自動押印機取扱作業競技」を廃止し、内国及び外国郵便物の「郵便窓口引受競技」を加えて実施しました。
参加が決まった職員達は、日々の業務での鍛錬だけでなく、先輩の作業の様子を見て研究をしたり、自宅の障子の桟を使って区分の練習をする等して腕を磨いたようです。
また、先に紹介した『郵政』によると、「郵政省としては、一人の名人達人よりも、これに続く一〇人の第二の名人、更にこれに向かって精進する何千、何万の従業員が大切」とし、この競技会による成果を期待していたようですが、昭和三二(一九五七)年に様々な事情により、競技会は中止となり、その姿を消しました。

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この記事は、「逓信総合博物館 展示品・所蔵品紹介」『通信文化』(14号、通巻1224号、48p、公益財団法人通信文化協会発行、2013年)掲載記事からの転載です