博物館ノート

豊臣秀吉が造らせた軍艦・日本丸 ―旧逓信博物館の海事資料から―

収蔵品

軍艦・日本丸 市川造船所の模型製作逓信省の模型購入と逓信博物館への収蔵

 郵政博物館にはかつて、豊臣秀吉が造らせた軍艦・日本丸の模型が収蔵されていました。この記事では、造船史上に名高い日本丸の概要と、大正期における市川造船所の模型製作、逓信博物館への収蔵経緯について紹介します。

軍艦・日本丸

 1590(天正18)年に天下統一を果たした秀吉は明の征服を目指し、翌年には諸藩に命じて軍船を造らせました。このうち、志摩国の武将・九鬼嘉隆が建造した巨大戦艦「鬼宿」は特に優れたものであったため、秀吉がその船名を「日本丸」に改めさせたと伝えられています(1)。【図1】は秀吉が日本丸造船を視察する様子として、逓信省の委嘱により日本画家の勝田蕉琴(1879-1963)が大正期に描いたものです(2)
 1592(天正20)年、秀吉が大陸征服の足掛かりとして第一回目の朝鮮出兵(文禄の役)に踏み切った際、日本丸はその海戦の旗艦を務めます。結果的に、日本水軍は李舜臣の率いる朝鮮水軍に阻まれ十分な戦果を挙げられませんでしたが、日本丸は朝鮮の誇る亀甲船に挑んだとも言われ、日本造船史上の一大進歩として記憶されています。

【図1】勝田蕉琴「秀吉九鬼嘉隆をして大船日本丸を造らしむ」(《日本交通図絵》上巻(SAA-87)より第12図)

市川造船所の模型製作

 文禄の役後、日本丸は志摩国に帰還し、その後小型に改造され「大龍丸」として鳥羽藩に保存されてきましたが、1856(安政3)年ついに腐朽のため廃船となりました(3)
 同地で1702(元禄15)年に創業した市川造船所は、戦国時代以来の技術を引き継ぎ、伊勢の造船業において中心的な役割を果たしてきました。1918(大正7)年、軍艦「伊勢」竣工を記念して三重県官民から海軍へ日本丸の模型を献上することが決まると、同社は大湊造船徒弟学校(4)と協力して九鬼家伝来の古文書類を調査し、限られた史料から日本丸の復元に挑みました(5)。この模型は1/40スケールでしたが、その製作は「実物大の本艦を建造するのと同一の構造で......実に馬鹿丁寧」に行われたといいます。同社の古老格の船匠のほか、鍛冶、塗工、銅工、染工、経師、画師等が丹精を込めて仕上げたその模型は、「此等の人々の総合芸術品」とも言えるものでした。

逓信省の模型購入と逓信博物館への収蔵

 第一次世界大戦を機に日本の海運造船業が躍進すると、逓信省は1917(大正6)年に戦時船舶管理局を設置しました(6)。同局の造船課は海軍献上模型のことを聞き及んだのか、1919(大正8)年3月、「造船上の研究資材」として市川造船所に日本丸の模型を発注します(7)。この二代目の模型は1/30スケールとさらに大型で、その造りも初代に劣らず精巧なものだったようです【図2】。中央の四角帆に描かれた九鬼嘉隆の三頭右巴紋が印象的ですが、百挺の櫂や三角・円形の狭間など、戦闘に備えるための機能的構造まで丁寧に再現されています。
 この模型は遅くとも同年8月に逓信博物館に収蔵され(8)、広く社会教育の資料として公開されました。逓信博物館は郵政博物館の前身にあたりますが、1910(明治43)年の創設以降、逓信省が所管していた海事事業、すなわち船舶や航路標識に関わる資料を多数収集していました。1965(昭和40)年、その大半は航空資料とともに運輸省に移管されましたが(9)、現在も郵政博物館に残されている写真や文献は、当時の広範な博物館活動の一端を伝えています。

【図2】「模型「日本丸」」、撮影年不詳(QBD-0019)

(学芸員・倉地伸枝)

(注)

  1. 高須芳次郎『海の二千六百年史』 海軍研究社、1940年、107-111頁。
  2. 1918年に逓信省職員一同から大正天皇へ献上された画帖《日本交通図絵》に含まれる絵図。今日献上品の現物は所在不明だが、当館にはその写真帖が伝存する(拙稿「逓信省職員一同による大正大礼献上品」『郵政博物館 研究紀要』第15号、2024年、164-180頁)。
  3. 逓信省管船局編刊『日本海運図史』1909年、8-9頁。
  4. 1896年創立の大湊工業補習学校を前身とし、これを1899年に改称した職工養成機関(三重県総合教育センター編『三重県教育史』第1巻、三重県教育委員会、1980年、925-927頁)。
  5. 以下、製作の経緯については海軍少将・市川大治郎「模型日本丸の概要と文献」漁船協会、1940年、1-4頁。
  6. 同局は第一次大戦終結後、1920年6月に廃止された(逓信省編『逓信事業史』第6巻、逓信協会、1941年、766-767頁)。
  7. 以下、購入の経緯については戦時船舶管理局・春渚生「豊臣秀吉の戦闘艦日本丸に就て」『逓信協会雑誌』第134号、1919年、20頁。
  8. 1919年8月に発表された同上記事が、この模型を「逓信博物館備付」と記述していることによるが、詳しい収蔵経緯は未詳。
  9. 逓信博物館編『逓信博物館75年史』信友社、1977年、212頁。