博物館ノート

世界最初の郵便切手

収蔵品

図1 ペニー・ブラック (額面1ペニー)
図1 ペニー・ブラック
(額面1ペニー)

図2 ペンス・ブルー (額面2ペンス)
図2 ペンス・ブルー
(額面2ペンス)

世界最初の切手は、1840年(天保11)5月6日(発行日は5月1日、使用開始が5月6日)、イギリスで発行された1ペニー(One Penny)と2ペンス(Tow Pence)の2種類の切手です。この切手は、色と料額から黒のインクを使った「ペニー・ブラック」(図1)と青色のインクを使った「ペンス・ブルー」(図2)の愛称で呼ばれています。

切手の図柄は、ヴィクトリア女王(1819〜1901 ジョージ三世の四男ケント公エドワードの息女)の気品ある横顔が描かれています。切手の大きさは、横19 ・縦23 の長方形をしています。裏のりはついていますが目打ちはありません。用紙には偽造防止のため、王冠模様の透かしが入っています。

印刷は、ロンドンのパーキンズ・ベイコン印刷会社で凹版印刷の手法で行なわれました。この会社は、ヤコブ・パーキンズが発明した新しい印刷法「パーキンズ法」で有名な会社です。従来は銅版彫刻が大勢をしめていたのに対し、パーキンズ法とは、鋼版に彫刻する方法をとっていました。焼入れして硬くしてから、転写法で同じものをたくさん写しとり、実用版をつくるという、当時としては非常に進歩的な技術でした。この方法は、偽造防止、再用防止、しかも大量印刷ができる点で大変優れていました。

原画は、女王陛下がロンドン市庁訪問(1837年)を記念して描かれた造幣局彫刻部長のウィリアム・ワイオンの作品を協議の末に決定しました。そして、ワイオンの作品は、有名な彫刻技術者であったチャールズ・ヒースとその子供のフレデリック・ヒース親子によって、鋼版に彫られることになり、この作品を水彩画に複製する仕事は、有名な肖像画家、ヘンリー・コーボールドに委嘱されました。

こうして、ペニー・ブラックの最初の版は1840年4月14日にできあがりました。1840年5月1日、世界最初の切手がロンドンでいっせいに売り出されました。当初の発行枚数は、1シート240枚綴り(横1段が各12枚、縦1列が各20枚)のシートが283,992枚、枚数にすると68,158,080枚で、発売初日から大変な人気で何度も増刷されました。

図3 マルレディ封筒
図3 マルレディ封筒

ところで、切手と同時に著名な画家ウィリアム・マルレディがデザインした封筒「マルレディ封筒」(料額印面付きの官製封筒)(図3)も、この時売り出されましたが、封筒の売れ行きはサッパリだったようです。

この切手には国名表示がありません。それは、近代郵便制度が「近代郵便の父」ローランド・ヒル(1795〜1879)によって提唱され、イギリスでスタートしたことから、イギリスが世界最初の切手発行国になったからです。まだ世界のどこの国も切手を出していません。つまり、近代郵便制度を実施していませんでした。

その3年後、イギリスについで郵便制度を改革し、2番目に切手を発行したのはスイスの1州のチューリッヒ(1843年3月)でした。同じ年の10月に同じくスイスのジュネーブ州が切手を発行しました(当時のスイスは州ごとに独立した政府を持っていました)。そして、この年の8月にはブラジルが切手を発行しています。こうして、イギリスをお手本に世界中で切手が発行されるようになり、その波は19世紀末には大きく広がっていきました。どこの国でも切手に国名を表示するようになりましたが、世界最初の切手発行国であるイギリスだけは、現在も国名のない切手を発行しています。それは、世界で最初に切手を発行した国という誇りを持っているからです。国名の入っていない切手を見つけたら、イギリスの切手と思ってください。

アメリカは1847年、フランスは1849年、イギリス領ホンコンが1862年、日本は1871年に最初の切手を発行しています。

ローランド・ヒルの近代郵便制度

図4 ローランド・ヒルの肖像
図4 ローランド・ヒルの肖像

当時のイギリスでは、郵便事業はすでに国営でしたが、国庫の増収を目的としていたため、重さと距離によって非常に高い料金を支払わなければならず、その上、手紙を出す人が料金を支払うのではなく、受取る人が払うシステムだったことから、着払いの郵便料金が高すぎる、頼みもしない手紙は入らないと、受け取り拒否をする人もたくさんいました。このように国民にそっぽを向かれていた上、役所や役人などの特権階級には郵便物は無料という特典を利用して不正を働く役人もいたため、イギリスの国営郵便事業は大赤字でした。このように不便で欠点の多い郵便制度を改革して、国民全体が利用できるようにしたいと考えたのが、税制研究家のローランド・ヒル(図4)です。

ヒルは、1837年1月に「郵便制度改革、その重要性と実用性」というパンフレットを公開しました。その内容は、 郵便料金は差出人が支払う料金前納制にする。 料金は、全国どこへ出しても均一の低料金とする。 無料郵便制度を廃止する。という合理化・単純化を図ったものでした。この案は世論の支持を得て、イギリスの議会に提出され、議会では、この新しい郵便制度を1840年から実施することを決めました。
そこで、ヒルは、料金を前払いで支払ったしるしをどのように表示するか、その方法を懸賞で募集しました。その結果、郵便物の表面に証票を貼る方法を採用しました。この方法を行うために初めて「郵便切手」が誕生することになりました。

この時、発行した切手が額面1ペニー(ペニー・ブラック)と額面2ペンス(ペンス・ブルー)の切手で、世界最初の切手ということになります。

そして、切手の再使用を防ぐための「マルタ十字印」と呼ばれる最初の消印(図5)を考えました。この方法は、イギリスの一市民であるジェームズ・チャルマーズ(1782〜1853)が考えて、ヒルに提案したものだと言われています。同時に、切手を貼った郵便物を投函するためのポスト(図6)も作られました。

新しい郵便制度と切手の生みの親であるローランド・ヒルは、その後イギリスの郵便長官となり郵便事業の改革のために活躍しました。今では、全世界の人々から「近代郵便の父」として尊敬されています。

図5 ブルーペンスとマルタ十字印
図5
ブルーペンスとマルタ十字印
図6 ロンドン最初のポスト(1855年)
図6
ロンドン最初のポスト(1855年)