戦役記念絵葉書販売の実態に迫る ~日露戦争終戦120年に寄せて~
収蔵品
1 はじめに 2 第二回戦役記念絵葉書 3 第三回戦役記念絵葉書 4 おわりに
1 はじめに
2025(令和7)年、日露戦争終戦から120年を迎えました。この節目に、当時の日本社会に大きな影響を与えた「戦役記念絵葉書」に改めて注目してみましょう。
1904(明治37)年から1906(明治39)年にかけて、逓信省は日露戦争の戦況や勝利を記念し、全5回13種の戦役記念絵葉書を発行しました。さらに、終戦後には凱旋観艦式・観兵式などを記念した絵葉書も登場し、これらは絵はがきブームの火付け役となりました。発売日には郵便局に長蛇の列ができ、即日完売する局もあったと伝えられています。(1)
しかし、こうした日露戦争戦役記念絵葉書が好評を博したという評価は一面的な見方かもしれません。実際の売れ行きや評判はどうだったのでしょうか。当館に所蔵されている文書綴り「戦役記念絵葉書之件」(2)「戦役記念絵葉書発売之件」(3)をもとに、第二回・第三回戦役記念絵葉書の発売当時の状況を紹介します。なお、本稿の引用部は、一部現代語表記による意訳としています。
2 第二回戦役記念絵葉書(1904(明治37)年12月25日発行)【図1】
戦役絵葉書を発行する度に各郵便局から逓信省通信局に売行状況や模様を報告していました。その報告書の一部が「戦役記念絵葉書之件」の「第二囬発行戦役紀念繪葉書発賣ノ当日模様及売下数量調」(4)です。
その報告書の中には、数字だけでは見えてこない局の状況等が報告されています。
東京郵便局では発売当日に3,000枚を販売しましたが、「売出し開始が十分に知られていなかった」「見本掲示が逆効果だった」との報告があり、期待ほどの売れ行きではなかったようです。
区内の各局でも売れ行きに差があり、麹町局は「好景況ナリ」とする一方、神田局では「発売開始が公衆に知られていないため、需要が伸び悩んでいる」と記されています。飯田町局では「第一回に比し希望者少なし」、青山局では「豫想ノ如く好景ナラス」と、芳しくない売れ行きが報告されています。
また、発売日が年の瀬の日曜日で官庁や会社が休みだったことや、戦地宛年賀状の差し控え訓示なども影響したと考えられます。丸の内局では「各官庁会社休日のため売上が少なかった」と報告されており、販売機会が限られていたことがうかがえます。
年末は比較的好調だったものの、年始には売れ行きが鈍化しました。麻布局や浦和局では「年末は好調だったが、年始は不振」との報告がありました。一方で、高輪局は「尚多少の需要ある見込み」と前向きな見通しを示しており、局によって状況が異なっていたことがわかります。
【図1】逓信省発行絵はがき(明治37年戦役紀念郵便絵はがき 第2回各宮妃殿下繃帯御調製)発行: 1904(明治37)年12月25日(5571-0401-002)
3 第三回戦役記念絵葉書(1905(明治38)年2月11日発行)
第三回戦役記念絵葉書の売れ行きに関しては、「戦役記念絵葉書発売之件」の景況調書(5) 【図2】に報告されています。
「戦役記念絵葉書発売之件」には、発売当日のみだけでなく、2月26日までの5日毎に報告された景況調書が収録されています。
第三回は全体的に好評で、発売当日から多くの局で売り切れが報告されました。特に「海軍の部」と「赤十字事業の部」が人気を集め、女学生の多い地域では赤十字の絵柄が好まれたという報告もあります。
東京局では「売れ行きは悪くないが、第一回ほどではない」と冷静な分析が見られます。神田局では「意匠は良いが、紙質や印刷は良くない」といった具体的な批評も記録されており、利用者の目が厳しくなっていたこともうかがえます。飯田町局では「遼陽の部は不人気」とあり、図柄による人気の差も明確になっています。
発売から数日間は売れ行きが好調でしたが、17日以降は徐々に減少。東京局では初日3,400組だった売上げが、2月22日~26日には380組にまで落ち込みました。(6)それでも千葉局や牛込局では比較的安定した売れ行きを維持し、千葉局では17日に一度売り切れ、貯蔵分を追加販売するほどの人気ぶりでした。 (7)
特に千葉局の報告では、「売行少シク減退の気味アルモ先つ悪シカラス」とあり、売れ行きは落ち着いてきたものの、依然として一定の需要があったことがわかります。初日の188組に対し、22日~26日には73組と、他局と比べて落ち込みが緩やかだった点が注目されます。(8)
【図2】「戦役記念絵葉書発売之件」(CA-A19)の「第三回紀念繪葉書發賣當日(二月十一日)に於ける景況調書」
4 おわりに
戦役記念絵葉書の売れ行きや評判は、単なる人気商品という一言では語りきれない複雑な背景があることが明らかになりました。発売日や図柄、地域性、社会情勢など、さまざまな要因が絡み合い、局ごとに異なる反応があったことがわかります。
(学芸員・村山 隆拓)
(注)
- 新宿区立新宿歴史博物館編『新宿歴史博物館特別展図録 巷の目撃者~絵はがきがとらえた明治・大正・昭和~』、新宿区教育委員会発行、1999年10月↑
- 「戦役記念絵葉書之件」(CAA20)↑
- 「戦役記念絵葉書発売之件」(CAA19)↑
- 前掲、「戦役記念絵葉書之件」(注2)に収録。↑
- 「第三回紀年繪葉書發賣當日(二月十一日)ニ於ケル景況調書」、前掲、「戦役記念絵葉書発売之件」(注3)↑
- 「第三回紀年繪葉書發賣景況調書 自二月廿二日至二月廿六日分」、前掲、「戦役記念絵葉書発売之件」(注3)に収録。↑
- 「第三回紀年繪葉書發賣景況調書 自二月十七日至二月廿一日分」、前掲、「戦役記念絵葉書発売之件」(注3)に収録。↑
- 注6に同じ。↑

