博物館ノート

TYK式無線電信機

収蔵品

有線による電気通信が、電信から電話へと進んだように、無線通信も同じような道を辿りました。
世界で初めて実用化された無線電話機がTYK式無線電話機です。TYKとは開発者である逓信省電機試験所三人の頭文字です。主任技師の鳥潟右一、同僚で技師の横山英太郎、係長の北村政次郎です。製作は安中電機製作所〔現アンリツ(株)〕が担当しました。
当時の無線電信はパルス状の電波を発射する火花式で、音声のような連続する信号の電送には向いていませんでした。TYK式は鳥潟が留学中に見たレベル式無線電信機に着目、一九一二(明治四十五)年三月に三人で発明した直流式火花放電間隙を利用したものです。
TYK無線電話は発明と同時に実用化に向けて試験を重ねました。
最初の通話試験は五月十三日、木挽町の電気通信試験所と芝の逓信官吏練習所との約一・五キロメートルの距離で行われました。この日は皇太子殿下(大正天皇)が逓信省に行啓、諸種の実験設備を見学され、この実験では逓信官吏練習所からの送話を聞かれました。
続いて通話可能距離を調査する為、改定敷設船「沖縄丸」に東京湾内を回航させ、電機試験所との通話を行いました。この試験を四十キロメートルまでの通話に成功しました。
一九一三(大正二)年六月には日本郵船株式会社、東洋汽船株式会社、大阪商船株式会社の出願に応じて横浜、大阪、神戸、門司、長崎にある各会社事務室と各所属船舶数隻に無線電話機を設備し、通話試験を行いました。
これらの試験から改良を重ね、一九一四(大正三)年十二月十六日、伊勢湾口の鳥羽と七キロメートル離れた答志島、鳥羽から十四キロメートル答志島から七キロメートルの距離にある神島に無線電話機を設置し相互間で、船舶通過の連絡を執り行う実験を開始しました。この実験は成功、地元の人の商業的目的にも好評を得、一九一六(大正五)年四月十一日からはこの三カ所で世界初の無線電話による公衆通信の事務取扱が正式に開始されました。
その後、TYK式無線電話は外国で特許を獲得した他、イギリス、アメリカでは装置持参で立会い実験を行い、日本の技術の海外紹介に貢献しました。

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この記事は、「逓信総合博物館 展示品・所蔵品紹介」『通信文化』(11号、通巻1221号、45p、公益財団法人通信文化協会発行、2013年)掲載記事からの転載です